二次請けエンジニアから取締役までの成長の軌跡と考えてきたこと

こんにちは。フューチャーアーキテクト取締役 金融事業担当の乾 亮太(いぬい りょうた)です。

私は2007年、20代後半で独立系SIerからフューチャーにキャリア入社し、一貫して金融業界向けのITコンサルタントとしてキャリアを積み上げてきました。「最低3年はがんばろう」という気持ちでフューチャーに入社し、一番下のランクからのスタートでした。そんな私がまさか入社14年後に取締役になっているとは、当然ですが想像だにしていませんでした。

今回は、私自身のキャリアの中でステージごとにどういった成長や意識変化があったのか。またその背景として自身の中で変わらないものや大事にしていることをご紹介します。フューチャーの若手メンバやこれから入社を考えられている方のキャリアを考える上での参考になれば嬉しいです。

キャリアおさらい

私のキャリアについて、フューチャー入社後を5つのステージに分けて紹介していきます。

入社から現在までのキャリア年表

0.前職時代

前職の独立系SIerでは、システムエンジニアとして航空業界向け座席予約システムを開発していました。担当していたシステムは、メインフレーム上でアセンブラ・C言語で構築されており、当時で40年の歴史を誇る、まさにレガシーなシステムでした。座席予約システムは金融にも劣らないミッションクリティカルなシステムであり、1行のプログラミングミスが数万人に影響を及ぼすような障害となることを目の当たりにしてきました。(同僚が起こした障害で、数万人の搭乗業務に影響を与え、戦々恐々としたことを鮮明に覚えています)。

アセンブラは機械語と1対1で対になるプログラム言語であり、CPUの命令セットやメモリを直接意識する言語です。私はアセンブラから学じ始めたことでコンピューターの原理原則を肌身で理解できるようになり、それが後の自身の技術力のベースになっています。

また、年次に関係なく若手にもチャレンジさせてくれる社風だったので、2年目で5名、3年目で10名程度を率いるチームリーダーを任せてもらいました。日々のメンバとのコミュニケーションの中で、うまく自身の考えや思いが相手に伝わらないこともあり「前も説明しましたよね」と相手を責めるような発言をすることもありました。それを聞いていた先輩から「伝わらないのはお前の説明力のせいだ」と指導を受け、ハッとしたことを覚えています。それ以来、相手が理解するまでが自身の責任だと意識してコミュニケーションをしています。

Ⅰ.フューチャー入社~4年目 ~個人のスキルアップ期~

前職でシステム開発プロジェクトを3年ほど経験した段階で、チームとしてシステムを作りあげていくことの難しさややりがいを感じる一方で、決められた要件に従ってシステムを作っていくことに物足りなさを感じ始めていました。顧客のビジネスや業務の改革・課題解決に企画から実現まで関与し、影響を与えられる立場で仕事をしたいと考えるようになり、それを体現できる会社としてフューチャーの存在を知り転職を決意しました。

フューチャー入社当時の私は、システムエンジニアの経験はあったものの、ITコンサルタントとしてのビジネス・業務・ITの知見やスキルは周りのメンバの足元にも及ばず、必然的にフューチャーでは一番下のランクからスタートすることになりました。入社後初めて参画したプロジェクトが金融系で最大規模となる新規構築プロジェクトで、それ以来金融業界のプロジェクトでキャリアを築いていくことになります。

システム本番稼働後も継続して同じシステムの保守やエンハンスに従事したことで、業務知見やITスキルをしっかり積み上げることができました。特にシステム保守ではさまざまな本番環境でのシステムトラブルを経験し、限られた時間内で対応することや真因追求をすることにより、実践的な技術力や論理的思考力が培われたと思います。不可解な事象があれば暫定処置で済ませず徹底追及していきました。その過程でデータベースやJavaの製品バグを見つけることもしばしばありました。

Ⅱ.入社5~7年目 ~自身の強みができ、活躍の場が広がり始める~

この頃になると、プロジェクト現場で培った技術力や銀行業務知見が明確に自身の強みとなりました。

グランドデザインフェーズでいくつかの業務領域を任されて顧客をリードしたり、新規構築プロジェクトにアーキテクトとして参画し、システム共通領域やプロジェクト全体品質の向上をリードするなど、幅広い経験を積むことができました。ITコンサルタントとして自身のスペシャリティを発揮できる領域を確立し、社内外の各所から相談を受けることも増え、関わる人も増えてきました。信頼と実績を積み上げると、自ずとより大きなチャレンジの機会がやってくることを実感しました。

Ⅲ.入社8~11年目 ~PL・統括リーダーを経験し、事業部・会社へ視野が広がる~

自身のスペシャリティを活かして横断的に複数プロジェクトに貢献するとともに、プロジェクトリーダーとして一定規模のヒト・モノ・カネに責任と裁量を任されるようになりました。

私がいちコンサルタントとして評価されるだけではプロジェクト運営はできないので、プロジェクト全体の付加価値向上や、顧客に私たちの付加価値をどう訴求するかを意識するようになりました。最適を追求したい技術者視点と、限られた経営資源を用いて効率よく収益をあげないといけないマネジメント視点のバランスが磨かれたように思います。

Ⅳ.入社12~14年目 ~経営幹部の一員、事業責任者としての自覚~

事業責任者として複数プロジェクトを統括する役割を担うようになりました。

プロジェクト現場に入り込んで対応するのが好きな自分の気質的に事業責任者は向いてないかもしれないと思うこともありました。でも、次第に私が意思決定した大きな戦略や方針が、戦術として実践され実を結んでいくことや、抜擢したアサインが見事にはまり新たなリーダーが成長し活躍していく面白さを実感するようになりました。また経営幹部の一員として会社全体の方針策定や課題対応にも関与するようになり、担当事業の推進においても、より高い視座で物事を捉えられるようになりました。結果として中長期視点で判断できるようになったと思います。

Ⅴ.入社15年目~ ~Futureの未来を描き、次世代へ繋ぐ~

今年が取締役就任1年目でまだ手探りの状況ですが、このステージではフューチャーの未来を描き、次世代のリーダー層を擁立し、繋いでいくことが私のミッションだと考えています。フューチャーの最も重要な資産はヒトとそこに根付くマインドです。ここでいうマインドとは「意義や大義を大切にする」「顧客と対等な立場で上下関係がない(役割があるだけ)」「チームワークを重視し、多様性を尊重する」などです。成長機会や成長環境の提供と、マインドセットの継承を大事にしながらこれからも取り組んでいきます。

変わらないもの、大事にしていること

私のキャリアの中で意識してきた「変わらないもの、大事にしていること」をキーワードで紹介します。仕事を楽しみながら成長し、次々とチャレンジの機会を得られてきた背景にもなっていると思います。

●仕事を楽しむ
楽しい仕事があるのではなく、楽しめる人がいるだけ。

●マクロとミクロ
成長やステージの変化によって視点が上がり視野も広がるが、最小粒度は変えない、変わらない。ミクロな視点、ソースコード1行を大事に。

●自責で考える
環境や周囲のせいにせず、常に自責で考える。その先に成長と成功がある。

●深く考える、突き詰める
トラブル時に応急処置や暫定措置で逃げない。根本原因を突き詰めて根治を目指す。

●他者の期待値を考える
顧客だけでなく、仕事で接する人は皆自分にとってのお客様。期待値を意識して付加価値を発揮する。

●仲間を信じる
自分一人でできることには限界がある。チームで生み出す価値の最大化を意識。

●積極的な失敗を許容する
積極的なチャレンジによるメンバの失敗は咎めず、自責でフォローする。次のチャレンジとその成功につながることがより重要。

●仕事とプライベートのオンオフは明確に
より良い仕事をするにはプライベートの充実と休息(=心身の健康)が欠かせない。メリハリをつけて、遊ぶ時は全力で遊ぶ

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趣味のゴルフも全力で楽しむ!

自身の今後

これまで多くのメンバのキャリア相談に乗ってきた私がこんなことをいうのは憚られますが、私自身は自分のキャリアプランをしっかりと計画を立ててきたわけではありません。これまでのキャリアを振り返ると、目の前の仕事を楽しみながら成果を出すことで、自ずと次の役割やステージが与えられてきました。ただ、そんな中でも一つ意識していたことがあります。それは、私と別の役割を担っている人がどんな考えで、どんな仕事をしているかを捉えようとしたことです。そうして自分の中でイメージをすることによって、自身の役割が変わった際もスムーズに立ち上がることができたように思います。

この先も私自身のキャリアがどうなるかは分からないですが、難しい仕事を好み、周囲を巻き込んで楽しんで取り組む姿勢は変わらないと思います。そして私自身が実体験してきたように、より多くの社員が年齢や性別やライフステージに関係なく、チャレンジ機会・成長機会を得られ、活き活きと仕事に取り組める会社にしていきたいと考えています。

記事を書いた人_乾

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